鈴木結生さんの『ゲーテはすべてを言った』を読み終えて、なんだか気持ちがふわっと軽くなりました。
23歳という若さで芥川賞を受賞した本作は、タイトルからして何やら奥深い響きがありますが、読んでみると意外にも親しみやすくて、じんわりと胸に残る物語でした。
ひとつのティーバッグから始まる物語
主人公の統一教授は、ゲーテを専門とする学者です。
ある日、家族との食事の席で飲んだ紅茶のティーバッグに書かれた「ゲーテの言葉」に疑問を持ちます。
専門家である彼が調べてみても、その出典が見つからない。そんなささやかな疑問から、この物語は静かに動き始めます。
統一は真偽を確かめようと、かつての恩師や同僚に相談します。
でも意外にも、身近な家族である妻や娘、そして学生たちまでもが、ゲーテについて違った角度から光を当ててくれるのです。
主な登場人物
博把統一(ひろば とういち)
ゲーテを専門とする学者。大学教授。
博把義子(ひろば あきこ)
芸亭学の娘。自由な時間には、ガーデニングのドイツ人YouTuberの動画を見ながら趣味のハーバリウムやテラリウムを作っている。
博把徳歌(ひろば のりか)
統一と義子の娘。大学生。読書好きで、論文を執筆中。
芸亭学(うんてい まなぶ)
統一の師匠であり、義理の父。

「ゲーテはすべてを言った」というタイトルの魅力
正直、このタイトルに惹かれて手に取ったのが最初でした。
「すべて」って一体何のことだろう?ゲーテが本当にすべてを言い尽くしたのだろうか?
そんな素朴な疑問が、この本を読むきっかけでした。
そして「芥川賞」「ゲーテ」という言葉の組み合わせに、少し構えてしまったのも事実です。
難しい文学作品なのかな?自分に理解できる内容だろうか?と。
でも、その心配はいらなかったのです。確かに学術的な要素はありますが、すっと読める文体で、むしろ親しみやすく書かれています。
「ジャム」と「サラダ」の考え方にハッとした
物語の中で特に印象的だったのは、confuseとmixという英単語の解釈です。
統一は「すべてが融合した状態(ジャム)」と「一つひとつが形を保ったままの全体(サラダ)」として捉えます。
この発想から、愛について「一つひとつが形を保ったままに包み込む」という気づきへと発展していく過程が素敵でした。
学者らしい丁寧な思考が積み重なって、大切なことに気づく場面になっていく流れに、「そっか!」と思わず膝を打ってしまいました。

家族の中にある、本当の知恵
一番おもしろかったのは、ゲーテの専門家である統一と、その家族との関係性です。
統一は長年の研究で膨大な知識を持っているのに、妻や娘とのコミュニケーションがうまくいかない。
「よくわからない」状態が続いている。
でも皮肉なことに、専門家である統一よりも、実は妻や娘の方がゲーテの言葉の本質を体現しているように描かれていました。
妻の義子さんは、ガーデニングやハーバリウム作りを通じて、娘の徳歌さんは読書や論文執筆を通じて、それぞれの方法でゲーテの世界に触れていたのです。
知恵って、案外身近なところに転がっているものなのかもしれません。
長年文献と向き合ってきた学者が、人とのつながりを通じて新しい発見をしていく。
この展開が、本作の一番の魅力だと思います。
心地よい「遠回り」の読書時間
この本を読んでいると、まるで散歩をしているような気持ちになります。目的地はあるけれど、道中の風景も楽しみながら、ゆっくりと歩いている感覚。
観光地に立ち寄りながら目的地に向かうような、知的な楽しみに満ちた旅路でした。
たしかに、物語の中には少し不自然に思える展開もあります。たとえば、ティーバッグの名言について、なぜ販売元に直接問い合わせないのかは、ちょっと疑問に思うところです。
でも、「専門家だからこそ自力で見つけたかったのかもしれない」ということにして、とりあえず納得しました(笑)。
そして本作の本質は、名言の出所を突き止めることではなく、その探求の過程で主人公が経験する思索と発見にあるのだと思います。
急がず、慌てず、じっくりと考えを巡らせる時間の大切さを教えてくれる作品でした。

言葉の力と人とのつながり
読んでいて感じたのは、「知識が経験に変わる瞬間」の魅力です。
統一が長年研究してきたゲーテの言葉が、家族や周囲の人々との関わりを通じて、初めて生きた言葉として胸に届く。そんな瞬間が丁寧に描かれています。
また、急な展開やドラマチックな出来事がないのも、この作品の良さだと思います。
穏やかな流れの中で、静かに胸に響く物語。
忙しい日常の中で、ちょっと立ち止まって考える時間をくれる、そんな読書でした。
本作をおすすめしたい読者
この本は以下のような方におすすめです。
・名言や言葉の持つ力に興味がある人
・急な展開よりも、穏やかで心地よい物語を求めている人
・文学的な探求心を刺激されたい人
・家族関係や人とのつながりについて考えてみたい人
・知識と経験の関係性に関心がある人
おわりに
この作品は、ゲーテについて学ぶというより、ゲーテに影響を受けた人々の日常を覗き見るような感覚で読めました。
専門的な知識がなくても十分に楽しめる作品だと思います。
忙しい毎日の中で、言葉の重みや人とのつながりの大切さを改めて考えさせてくれます。
気になった方は、ぜひ読んでみてください。
きっと、胸に残る何かを見つけられるはずです。