こんにちは。今回は鈴木結生さんの『ゲーテはすべてを言った』をご紹介します。
2024年下半期の芥川賞を23歳で受賞した本作は、ゲーテを専門とする学者の統一を主人公に、名言の真偽を巡る静かな探求の旅を描いた作品です。
あらすじ
大学で教授を務める統一は、家族で行った食事の際に飲んだ紅茶のティーバッグに書かれていた「ゲーテの言葉」をきっかけに、その出典探しを始めます。
専門の研究者である彼はゲーテの著作を読んでみても、その言葉がどこにも見当たらないことに気づきます。
真偽を確かめようとする中で、統一は様々な人々と出会います。
かつての恩師や同僚、そして意外にも、妻や娘、そして学生までもが、ゲーテにまつわる異なる解釈や視点を統一に示していきます。
ゲーテ研究に人生を捧げてきた統一でしたが、皮肉にも妻や娘との関係は必ずしも円滑ではありません。
しかし、名言の真偽を追い求める過程で、統一は次第にゲーテが言ったという言葉の意味に気づいていきます。
主な登場人物
博把統一(ひろば とういち)
ゲーテを専門とする学者。大学教授。
博把義子(ひろば あきこ)
芸亭学の娘。自由な時間には、ガーデニングのドイツ人YouTuberの動画を見ながら趣味のハーバリウムやテラリウムを作っている。
博把徳歌(ひろば のりか)
統一と義子の娘。大学生。読書好きで、論文を執筆中。
芸亭学(うんてい まなぶ)
統一の師匠であり、義理の父。

謎めいたタイトルに魅せられて
「ゲーテはすべてを言った」。このタイトルに惹かれ、思わず手に取りました。
「すべて」とは一体何を指すのか?ゲーテが本当にすべてを言ったのか?そしてそれをどのように確認できるのか?単純な疑問が、この本を読むきっかけでした。
23歳という若さで芥川賞を受賞した著者の存在も、大きな興味を引きました。
正直なところ、「自分に理解できる内容だろうか」という不安も少しありましたが、その不安は杞憂に終わりました。
物語の中心にある「ジャム的」「サラダ的」の考え方
本作で特に印象的だったのは、「ジャム的とサラダ的」という対比的な概念です。
主人公が目にしたティーバッグの「名言」に書かれていたconfuseとmixという言葉を、それぞれ「すべてが融合した状態(ジャム)」と「一つひとつが形を保ったままの全体(サラダ)」として解釈するくだりは、本作を象徴しています。
この解釈は作中において、ゲーテの警句から引用された「愛は一つひとつが形を保ったままに包み込む」という考えにつながっています。
学者である主人公の設定を活かしながら、単なる英文の解釈を超えて、思考を発展させていく手法は見事です。

家族との関係
興味深いのは、ゲーテ研究の専門家である主人公「統一」と、その家族との関係性です。
統一は妻や娘とのコミュニケーションが必ずしも円滑ではなく、「よくわからない」状態で物語が進んでいきます。
しかし皮肉にも、専門家である統一よりも、妻や娘の方がゲーテの言葉の本質を体得しているような描写があります。
本書は、「知識の獲得には多様な道筋がある」と伝えているように私には思えました。
長年文献研究に携わってきた学者が、人とのつながりを通じてゲーテの言葉の真意を理解していく。この展開こそが、本作の魅力の核心といえるでしょう。
読書体験としての「心地よい遠回り」
本作を読む体験は、まるで目的地への「遠回りの旅」のようでした。
ただし、この「遠回り」は決してネガティブな意味ではありません。観光地に立ち寄りながら目的地に向かうような、知的な愉しみに満ちた旅路でした。
たしかに、物語の中には一見不自然に思える展開もあります。例えば、ティーバッグの名言の出典を単純に販売元に問い合わせないのは、現実的には疑問が残ります。
しかし、本作の本質は名言の出所を突き止めることではなく、その探求の過程で主人公が経験する思索と成長にあると思いました。

本作をおすすめしたい読者
この本は以下のような方におすすめです。
・名言や言葉に興味がある方
・急な角度のアップダウンがなく、穏やかな流れのストーリーを読みたい人
・文学的な探求の旅を楽しみたい方
おわりに
本作は「知識が経験になる過程」を描いた作品といえます。
ゲーテについてというよりも、ゲーテに影響を受けた人々の物語として読むことができます。
読後には、『ファウスト』や『魔法使いの弟子』といったゲーテの原作に触れてみたくなる、そんな知的好奇心を刺激される一冊です。
気になった方は、ぜひ読んでみてください。